山陰亭

原文|解説|口語訳

『菅家後集』501

題竹床子       竹床子《ちくさうし》に題す
〈通事李彦環所送〉  〈通事《つうじ 》李彦環《りげんくわん》が送りし所なり〉

彦環贈与竹縄床  彦環《げんくわん》 贈り与ふ 竹の縄床《じようしやう》
甚好施来在草堂  甚《はなは》だ好《よ》し 施来《もち》ひて草堂《さうだう》に在《あ》るには
応是商人留別去  是《こ》れ商人の留めて別れ去りしなるべし
自今遷客著相将  今より遷客の著《つ》きて相将《あひもち》ゐなむ
空心旧為遥踰海  空心の旧《ふる》きは 遥《はるか》に海を踰《こ》えし為《ため》なり
落涙新如昔植湘  落涙の新たなるは 昔湘《しやう》に植ゑしが如《ごと》し
不費一銭得唐物  一銭をも費《つひ》やさずして 唐物《たうぶつ》を得たり
寄身偏愛惜風霜  身を寄せて偏愛し 風霜を惜しまん

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解説

 延喜2(902)年、蟄居生活を送っていた道真の元に、李彦環《りげんかん》という人物から、竹で骨組みを作り座面に縄を張った輸入物の椅子が届けられました。この贈り物を題材にして作った詩です。

 大宰府は山に囲まれた要衝の地ですが、そこから博多まではそう遠くありません。それゆえ中国大陸との軍事・外交の拠点として重視され、筑前国内には李彦環のような中国人もいたようです。古代の通訳は単に言葉を翻訳するに留まらず、現地を訪れた同胞の活動を支援するコーディネーターの役割をも担っていましたから、唐の商人から椅子を入手することは別段難しいことではありませんでした。
 そうして手に入れた舶来品を員外帥《いんがいのそち》に贈った背景は良く分からないながら、受け取った当人はいたく喜びました。従者を港に派遣して政府より先に良い品を買い付けようとする平安貴族の唐物《からもの》好きを示す反応とも言えますが、道真が足を悪くしていた事もあるようです。既に500「雨の夜」で取り上げましたので詳しくは書きませんが、「出歩くこともないから」と僧侶から贈られた杖を放置した(498「山僧杖を贈る、感有りて題す」)ことに比べ、日常生活に役立つ、実にありがたい贈り物でした。

 さっそく部屋に運び込ませ、腰を下ろしてしみじみと眺めると、長旅で傷んだのか虫に喰われたのか節が抜けていますが、それも情趣というもの。素材は斑竹《はんちく》とみえ、ところどころにまだら模様があります。この模様を「湘水《しょうすい》のほとりに植えたような涙の跡」というのは、古代の聖王舜《しゅん》が亡くなった後、彼の2人の妻であった娥皇《がこう 》と女英《じょえい》が湘水(中国南方を流れ、洞庭湖《どうていこ》に注ぐ川)に身を投げてからというもの、沿岸の竹は彼女達が流した涙でまだら模様になったという斑竹の起源説話によるものです。

 地位・家族・健康と、身の回りの平穏な幸福を一つ一つ剥がれてゆく道真に届いた、外の世界と自分とをつなぐささやかな希望。ゆったりと腰掛けて彦環の好意に感謝しつつ、これ以上傷めないよう大切に使おうと思うのでした。

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口語訳

竹製の椅子を題とする
〈(これは)通訳李彦環《りげんかん》が贈ってくれたものである〉

彦環が贈ってくれたのは 竹の縄張り椅子
非常に良い 使って貧居にあるのは
これは(彼の国の)商人が残して去った物なのだろう
今からは左遷された客人が手元に置いて使おう
昔から中が空洞なのは 遥《はる》かに海を越えたからであり
新しく涙を落とすと 昔湘水《しょうすい》に植えた(時の)ようである
一円も使わずに 唐の品を得た
身を任せてひたすら愛用し 風や霜(に傷められるのを)惜しもう

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