山陰亭

原文解説口語訳

『菅家文草』04:261

読家書、有所歎  家書を読み、なげく所有り

一封書到自京都  一封の書 京都けいと より到れり
借紙公私読向隅  借紙の公私 読みて隅に向かふ
児病先悲為遠吏  みて 遠吏ゑんり たることを悲しべど
論危更喜不通儒  論危うくして さら通儒つうじゆならざることを喜ぶ
豈憂伏臘貧家産  あに 伏臘ふくらう家産かさん の貧しきことを憂へんや
唯畏風波嶮世途  ただ 風波ふうは 世途せいと けはしきことをおそるるのみ
客舎閑談王道事  客舎にて閑談かんだんす 王道わうどうの事
応羞山近似樵夫  山近くして樵夫せうふ に似たるをづべし

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解説

 仁和4(888)年6月、讃岐に赴任していた道真のもとに、自宅から一通の手紙が届きました。一読した後、その手紙を題材にして詠んだ詩です。

 一度使用した紙を再び漉き直した紙には家庭の状況から都の情勢まで細々と綴られており、人に見られまいとすると、つい部屋の隅に寄ってしまいます。まず知らされたのは子供の一人が病気になったこと。先立つ04:260「子を言ふ」において、成人式を行う時宜を逃してしまった子供達のことを案じていた道真にすれば、父親でありながら、受領ずりょうという立場上、思うように治療の手はずを整えることもできない距離がもどかしく思われます。

 しかし子供の病気以上に道真をやきもきさせたのは、混迷を深める都の現状報告でした。老若男女を問わず、都では阿衡あこう の紛議をめぐる話題でもちきりだったのです。これは05:357「左金吾相公、宣風坊の臨水亭に於て、...」に詳しく述べた通り、橘広相たちばなのひろみが書いた勅答の中にあった「阿衡の任をもつて、けいの任とすべし」の句をめぐり、宇多天皇と太政大臣藤原基経もとつねが政治の主導権を争って対立した事件ですが、手紙が届いたのは、明経道みょうぎょうどう(中国哲学)や紀伝道の学者達が、口を揃えて「『阿衡』には具体的な職掌はない」と回答した時期でした。

 太政大臣が本当に問題としているのは何か考慮せず、ただ「阿衡」の語句の詮索に終始する専門家の態度に、道真は苛立ちを隠せませんでした。その中には、藤原佐世すけよ 善淵愛成よしぶちのちかなり・紀長谷雄といった知己も含まれますが、彼等を「通儒」の語でもって切り捨ててしまいます。この語は02:094「詩を吟ずることを勧め、紀秀才に寄す」にも見え、空虚な議論を繰り広げるだけの有識者に対する皮肉が込められた言葉です。
 そんな道真が明け暮れに案じるのは、家計などではなく、世間の風の厳しさでした。以前から、儒者と詩人を兼ねた存在であろうとして、道真は「詩など何の役にも立たない」という詩人無用論の吹き荒れる風潮に厳しく対峙していました。その結果生じた艱難辛苦は、文章博士時代の02:087「博士難」・02:098「思ふ所有り」・02:118「詩情怨」の古調詩3部作にも窺われ、後の05:352「金吾相公、愚拙を棄てず、...」・06:464「近院山水障子詩(3)閑適」の詩に見える楽府がふ題「行路難こうろなん(道を進む困難さ)」の語でもって総称されます。半年前の詩に見える「世路は海路を行くよりもかたし」(03:240「三年歳暮、更に州に帰らんと欲し、聊か懐ふ所を述べ、尚書平右丞に寄す」)の言葉もまさにそうです。
 この行路難意識の激しさは、道真の特徴として指摘されるところです。しかしこの激しさなくして、「法律に記載されていなくても太政大臣は太政官を総覧する立場にある」「史書には『阿衡』を職務権限を有する職とする事例がある以上、四書五経と齟齬しても良い」「検税使を派遣するよりも地方の自主性に任せたい」といった、現実に即して問題を大局的に捉える思考は生まれてこなかったでしょう。

 妬みひがみで足の引っぱり合いを繰り返す学界を尻目に、道真は讃岐国府の官舎で政治のありようについて語ろうとします。確かに国府は山に囲まれた地にありますが、「樵夫せうふ に似たるをづ」は、藤原克己氏の指摘されるように(「詩人鴻儒菅原道真」『菅原道真と平安朝漢文学』)、「士の王道を談らざる者有れば、すなはち樵夫すらこれを笑ふ」(『文選』巻9・揚雄「長楊賦」)を下敷きにした言葉であり、些末で厄介な議論に巻き込まれなかったことを喜びつつも、地方官という立場上その議論に加わることのできないもどかしさを告白した表現なのです。そもそも、漢詩において、きこりは漁夫と共に、世俗から離れて暮らす隠者の喩えとして登場することも念頭に置いておく必要があると思います。

 なお、この騒動に関して、在京中の岳父島田忠臣しまだのただおみへ贈ったのが、04:263「諸の詩友を憶ひ、兼ねて前濃州田別駕に寄せ奉る」ですので、合わせて一読して頂ければ幸いです。

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口語訳

家からの手紙を読み、嘆く

一通の手紙が 都から届いた
き返しの紙には公私の事柄が書いてあり 読みつつ(部屋の)隅を向く
子供が病気になり (父親が)遠方の役人であることが悲しくなるが
(都での「阿衡あこう 」の語をめぐる)議論は厄介で 物知り顔の学者でないことを改めて喜ぶ
どうして 真夏真冬(の折り)に家計が貧しいと案じようか
ただ 人生という旅に寄せる風や波の厳しさが恐ろしいだけだ
(讃岐国府の)官舎で静かに語るのは (徳によって世を治める)王道政治のこと
(しかしこう)山が近いと(政治を論じていても)まるで木こりじみているのが情けない

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