山陰亭

原文|解説|口語訳

『菅家後集』490

雪夜、思家竹〈十二韻〉  雪の夜、家なる竹を思ふ〈十二韻〉

自我忽遷去  我 忽《たちま》ちに遷去せられしより
此君遠離別  此《こ》の君と遠く離別せり
西府与東籬  西府《さいふ 》と 東籬《とうり 》と
関山消息絶  関山《くわんざん》 消息絶えぬ
非唯地乖限  唯《ただ》 地の乖限《くわいかん》せるのみに非《あら》ず
遭逢天惨烈  天の惨烈《さんれつ》なるに遭逢《さうほう》せり
憫黙不能眠  憫黙《びんぼく》して眠ること能《あた》はず
紛紛専夜雪  紛々《ふんぷん》たり 専夜の雪
近看白屋埋  近く看《み》る 白屋《はくをく》の埋《うづま》るるを
遥知碧鮮折  遥かに知る 碧鮮《へきせん》の折れたるを
家僕早逃散  家僕は早く逃散《たうさん》せり
凌寒誰掃撤  寒きを凌《しの》ぎて誰か掃撤《さうてつ》せん
抱直自低迷  直《ちやく》を抱《いだ》けども 自らに低迷し
含貞空破裂  貞《てい》を含《ふく》めども 空しく破裂せり
長者好漁竿  長きは漁竿《ぎよかん》に好《よ》かりしに
悔不早裁截  悔《く》ゆらくは早く裁《た》ち截《き》らざりしことを
短者宜書簡  短きは書簡に宜《よろ》しきに
妬不先編列  妬《ねた》むらくは先《ま》づ編み列《つら》ねざりしことを
提簡且垂竿  簡《ふだ》を提《さ》げ 且《か》つ竿を垂らば
吾生以堪悦  吾《わ》が生 以《もつ》て悦《よろこ》びに堪《た》へたらん
千万言無効  千万《せんばん》言へども効《しるし》無し
漣〓亦嗚咽  漣〓《れんじ 》し 亦《また》 嗚咽《をえつ 》す
縦不得扶持  縦《たと》ひ 扶持《ふぢ》することを得ざれども
其奈後凋節  凋《しぼ》むに後《おく》るる節《みさを》を其奈《いかん 》せん

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解説

 延喜元(901)年冬、雪の降り積もる夜に自宅の竹に思いを馳せて詠んだ詩です。下三連が1回(第2句)、二四不同でない箇所が3つ(第5句・第10句・第22句)ある五言古体詩で、押韻は入声九屑韻。

作品名形式平水韻による韻目
477「読楽天北窓三友詩」七言 二十八韻上平声 四支韻/上平声 五微韻
479「読開元詔書」五言 八韻下平声 八庚韻/下平声 九青韻
483「慰少男女」五言 十韻去声  六御韻
486「哭奥州藤使君」五言 四十韻上声  四紙韻/上声  五尾韻
490「雪夜思家竹」五言 十二韻入声  九屑韻
500「雨夜」五言 十四韻上声 一三阮韻/上声 一四旱韻/上声 一五潸韻
502「傷野大夫」七言 五韻上平声 七虞韻

 『菅家後集《かんかこうしゅう》』に収められた古体詩は上記の7首。原型の『西府新詩』は全部で39首しかありませんから、2割近くを占める事実は決して軽くありません。平安時代において、絶句や律詩といった近体詩《きんたいし》が主流であり、古体詩そのものがあまり作られていないのですから、なおさらです。

 漢詩のルールとして、偶数句末(七言詩の場合は第一句末も)の文字を同じ韻の文字で揃える「押韻《おういん》」があるのは有名ですが、この韻のグループ分けの方法として、「広韻《こういん》」(206種類)と「平水韻《へいすいいん》」(106種類)の2種類があります。近体詩の規範となるのは後者で、一般の漢和辞典もこちらの分類を掲載していますが、平水韻はずっと後世のものなので、平安漢詩を考える際には広韻で考えるべきかもしれません。
 便宜上上の表では平水韻による分類を載せましたが、隣接する韻目《いんもく》(韻のグループ)をまたいで韻字を選ぶものもあり、この規制のゆるさが古体詩の特色のひとつです。
 そして、うち4首が仄声《そくしょう》で押韻しています。これは母音の声調のうち上声《じょうしょう》・去声《きょしょう》・入声《にっしょう》を総称したもの(現代中国語の第二声〜第四声のようなものです)で、上下の平声《ひょうしょう》(いわば第一声)と対比されますが、仄声で押韻すると詩の調子が暗くなることもあり、平声で押韻することが多いのです。そのことを考えると、古体詩7首のうち4首が仄声の韻字を有するのは興味深いもので、興膳宏氏は「長編で、しかも平声韻を用いずに上声の韻を貫き通すのは、よほどの力量を備えた詩人でなければなしえない力技」とまで評しています(『日本漢詩人選集 別巻』240頁)。

 道真は庭の何箇所かに竹を植えていました。これは以前住んでいた家から左京五条に転居した時に根分けしたもので(『菅家文草』02:181「夏の日、四絶(3) 新たなる竹」)、寛平2(890)年、源能有《みなもとのよしあり》がさらに根分けしたほどでした(04:329「源納言が家なる竹を移し種ゑたまふに謝し奉る」・04:330「近ごろ拙詩一首を以て、源納言が家なる竹を移し種ゑたまふに謝し奉る。...」)。道真自身非常に大切にしていたらしく、讃岐に赴任していた時も、夢に見るほど気に掛けていましたが、手紙を持ってきた使者から雪で折れたと聞くと、残念がりました(03:226「家なる竹を思ふ」)。そうして都に戻れば、多忙な政務の合間に、竹林を吹き抜けるそよ風の音を書斎で愉しむ暮らしが待っていました(07:526「書斎記」)。

 ところが、延喜元(901)年2月1日に都を追われ、かって王徽之が偏愛した「此君《このきみ》」とも離ればなれになってしまいました。辛うじて届いた便りによれば、雪の重みに耐えかねてとうとう折れてしまったとのこと。ここ大宰府でも、眠れぬまま横になっている道真をよそに、雪は一晩中降り続いています。
 誰にも世話されぬまま放置された竹は、まっすぐ伸びようとしても、雪が積もれば垂れ下がり、貞節の情をもってしても、重みを支え切れずに割れるばかり。読書の合間に釣りを楽しむ隠者の生活を渇望しても、時すでに遅し。自分の挫折した姿を象徴するかのごとく折れた竹を想像すると、やり切れなくて泣くしかありませんでした。ただそれでも、冬でも青いままでいようとする竹のように、逆境にあっても自身の中心に残る志を認識するところに、彼の勁《つよ》があるのだと思います。

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口語訳

雪の夜、自宅の竹に思いを馳せる〈十二韻〉

私が 突然追放されて以来
(自宅の)竹と遠く離ればなれになってしまった
西の大宰府と 東の(自宅の)籬《まがき》と
関所と山(に阻まれ) 音信も絶えてしまった
ただ距離が離れているだけではない
(お互い)極寒の天気に遭遇してしまったのだ
静かに憂い 眠ることもできず
ちらちらと(降る) 夜通しの雪
近くでは貧居が(雪に)埋もれているのが見え
遠くでは青く色鮮やかな竹が(雪で)折れてしまったと知った
召使《めしつかい》は早くほうぼうに逃げ去ってしまった
誰が(冬の)寒さをものとせず(積もった雪を)掃き去るのか
(竹が)無私の情を持していても おのずと低くさまよい
(竹が)貞節の心を抱いていても いたずらに割れてしまう
長いものは釣竿に適していたのに
早く切っておかなかったことが惜しい
短かいものは竹簡《ちくかん》(竹片をつないで編んだ巻物)に向いていたのに
予め綴っておかなかったことが恨めしい
竹簡をたずさえ さらに釣竿を垂らせば
私の人生は かくて喜ばしいものであったろう
あれこれ言ったところで甲斐もない
さめざめと涙を流し また咽《むせ》び泣く
たとえ (竹を)支えてやることができなくとも
(他の草木が枯れた)後に枯れる貞節をどうしてやれば良いのだろう

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